二週間かけて、一ページしか進まないこともあった国語の授業があったそうです。灘中学校の教員だった橋本武さんが、中勘助の小説『銀の匙』を、中学の三年間をかけて一冊だけ読み通した授業です。
話が横道にそれるので、進みはとてもゆっくりでした。駄菓子屋の場面が出てくれば教室で駄菓子を配って食べ、凧揚げの場面では実際に凧を作って揚げてみたそうです。毎回配る手作りのプリントにも横道にそれる仕掛けがたくさんあり、先生がそのプリントを抱えて教室に入ると、生徒たちから拍手で迎えられることもあったといいます。
一冊を読み終えるのに三年。効率だけで見れば、ずいぶん遠回りです。
この授業のことは、私が関わっている別の教育現場のスタッフから聞きました。日本語を教えるときに、橋本さんのやり方を参考にしているという話でした。気になって書籍『〈銀の匙〉の国語授業』を読んでみると、「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」という趣旨の言葉に出会いました。
この言葉には、深く共感しました。役に立つかどうかをその場ですぐに判断しようとすると、真っ先に切り捨てられてしまうのが「遠回り」です。橋本さんは、その遠回りこそが学びだと信じ、三年かけて実践した人なのだと私は受け取りました。
橋本さんの授業は学校教育の中での実践でしたから、学校とフリースクールのような場を無理に比べるつもりはありません。学力や受験のための勉強を否定するつもりもありません。そのうえで私たちは、「役に立つかどうかを急いで決めない時間」を、トイベースの真ん中にも置きたいと考えています。
では、すぐには役に立たないものの先に、何があるのか。
もし「一生もの」と呼べる学びがあるとするなら、それは「答えにたどり着くまでの過程」そのものではないでしょうか。
自分で問いを立てて、調べて、悩んで、ときには人に教わって、ようやく答えにたどり着く。そして、その答えが自分の中でしっかり腹落ちする。正しい答えを早く言えることだけでなく、自分が納得できたかどうかまでを学びとして大切にしたいのです。納得するまでには時間がかかります。トイベースでは、その時間ごと引き受けるつもりです。
教室の中で本を読むだけでなく、外に出て五感で確かめるフィールドワークも、その過程のひとつとして大切に育てていくつもりです。
「すぐ役に立つ」という言葉が、いま特に気にかかる理由はもうひとつあります。
私自身、近年考える力が衰えてきているように感じることがあるからです。インターネットで検索すれば一瞬で情報が見つかり、いまはAIに問いかければ数秒で整った答えが返ってきます。人間は弱い生き物ですし、考えることにはエネルギーがいります。手軽に答えが手に入るなら、そちらへ流れてしまうのも無理はありません。「すぐ役に立つこと」と「すぐ答えが出ること」は、どちらも急ぎすぎているという点で似ています。だからこそ私たちは、その誘惑に負けない「知るって楽しい!」という手触りを、子どもたちに手渡していきたいのです。
もちろん、迷いもあります。
現実として、学力はテストの点数で測られる場面がまだまだ多いです。目に見える学力や進路を頼りにしたくなる保護者の方の気持ちも、痛いほど分かります。「非認知能力を伸ばそう」という声も増えましたが、目に見えない育ちを確かめられない不安は、親御さんだけでなく、私自身の中にも確かにあります。
答えにたどり着くまでの過程を大事にする学びが、子どもたちにどんな未来をもたらすのか。追跡して確かめたデータがあるわけでもない私には、軽々しく語ることはできません。分からないまま、耳ざわりのいい「役に立つ」という言葉で言い切ることは避けたいと思っています。
一本目の記事で、「どんな学びを渡せるのか、まだ言葉にできていない」と書きました。
今回、「答えにたどり着くまでの過程」という表現で、ほんの少しだけ輪郭が見えてきた気がします。
二週間で一ページしか進まないような時間を、私たちは怖がらずに差し出すことができるのか。
その問いの答えもまた、子どもたちと一緒にゆっくり探していきたいと思っています。


